こんにちは。インフォメーションアーキテクトの安田です。 この記事では、Chris Dixon氏による "Why Web 3 matters" の翻訳を紹介し、内容について簡単な解説をします。
はじめに、記事を書くことになった経緯を紹介します。 Surface&Architectureでは、2週間に1度の全社ミーティングの冒頭にSALTという時間を設けています。SALTはSurface&Architecture Lightning Talk の略で、最近気になったことや面白かったことを社内向けに共有する時間です。 先日のSALTで "Why Web 3 Matters" というChris Dixon氏のツイートを翻訳して紹介しました。この時のプレゼンテーションを S&A Journal向けに再構成したのが本記事になります。
※Chris Dixon氏はベンチャーキャピタル andreessen horowitz (a16z)のジェネラル・パートナーで、crypto/ web3 ファンドを率いています。

なぜ Web 3は重要なのか

それでは "Why Web 3 matters" の翻訳を紹介します。原文はツイートがずらずらとならんているのですが、長いのでいくつかのパートに分けて紹介します。
※この文章のオリジナルはChris Dixon氏(@cdixon)のtweetです。 同じタイトルのブログ記事も公開されています。

Web 1 〜 Web 2の30年

Web 1の時代はおおよそ1990年~2005年ごろです。それは、分散型(非中央集権的)で、かつコミュニティが管理するオープンなプロトコルでした。そこに生まれる価値の多くは、ネットワークの端(エッジ)にいる、わたしたちユーザーや制作者のものでした。

おおよそ2005年〜2020年ごろが、Web 2の時代です。Web 2は企業によって運営され、サイロ化された中央集権的なサービスです。価値のほとんどは、Google、Apple、Amazon、Facebookなどの一握りの企業が生み出していました。

現在私たちがいるのは、Web 3の始まりの時代です。Web 3は、Web 1時代の非中央集権的なコミュニティ管理の倫理と、Web 2の高度で現代的な機能を組み合わせたものです。

Web 3は、ユーザーと制作者が所有し、トークンによってオーケストレーション(組織化と調整)が行われるインターネットです。(この定義を提供してくれた@packyMに感謝します)。
最初のパートでは、インターネットが商用化された1990年ごろから2020年ごろまでの約30年間を振り返っています。非中央集権的で民主的だったWeb 1が市場の大波に飲み込まれ、やがて一部の巨大資本に握られてしまったのがWeb 2の姿である、という説明がされています。この主張は、同時代にずっとインターネット関連の仕事をしていた自分も同意できるものです。

中央集権の弊害

なぜ Web 3 が重要なのでしょうか?

まず、中央集権的なプラットフォームの問題点を見てみましょう。(この件については、2018年にこちらのブログに詳しく書きました)。

中央集権的なプラットフォームのライフサイクルは、予測が可能です。はじめに、プラットフォーマーはユーザーやサードパーティ(クリエイター、デベロッパー、協力企業など、プラットフォームの不足を補う人々)をあらゆる手段を使って取り込もうとします。

これは、プラットフォームによるネットワーク効果を強化するために行われます。プラットフォームがテクノロジー適用のS字カーブを上昇するにつれて、ユーザーやサードパーティに対する権力は着実に大きくなっていきます。
同tweetより引用
プラットフォームがS字カーブの頂点に達したとき、ネットワーク参加者との関係は、ポジティブサム(プラス)からゼロサム(均衡)に変化します。彼らが成長を続けるには、ユーザーからデータを搾取し、(以前の)パートナーと競争しなければなりません。

有名な例としては、Microsoft vs. Netscape、Google vs. Yelp、Facebook vs. Zynga、Twitter vs. そのサードパーティークライアント、Epic vs. Appleなどがあります。

協力関係から競争関係への移行は、サードパーティにはまるでおとり捜査のように感じられるでしょう。時が経つにつれ、最高の起業家、開発者、投資家たちは、中央集権的なプラットフォームの上に何かを構築することは愚かだと考えるようになりました。これが、イノベーションを阻害しているのです。
ポジティブサムからゼロサムへの転換など難解な部分もありますが、プラットフォームをほぼ独占している現在のGAFAMの姿を的確に描写しているように感じます。今のモデルでは、資本が一部のプレイヤーに集中するため、インターネットは必然的に中央集権的にならざるを得ないということなのでしょう。

Web 3 の実体はトークンとブロックチェーン

それではWeb 3の話をしましょう。Web 3では、所有権と制御は集中せず、分散しています。ユーザーと制作者は、「交換できないトークン」(NFT)と「交換できるトークン」の両方を入手することで、インターネットサービスの一部分を所有することができます。

トークンによりユーザーは財産権、すなわちインターネットの一部を所有する権利を獲得します。

ユーザーはNFTにより「もの」(オブジェクト)を所有できるようになります。「もの」には、アート、写真、プログラムコード、音楽、テキスト、ゲームオブジェクト、クレデンシャル(信用)、統治権、アクセスパス(通行手形)、その他人々が思いつくあらゆるものが含まれます。

NFTは、たとえばイーサリアムのようなブロックチェーン上に存在します。イーサリアムはユーザーが所有し運営する、分散型のグローバルなコンピュータ群です。

ブロックチェーンは、誰でもアクセスできるが誰の所有物でもない、特別なコンピュータ群です。

イーサリアムは、ETHという「交換できるトークン」を利用しています。ETHは、システムの基盤であるコンピュータを動かすために使われます。またETHは、NFT購入のようにシステムで発生する取引(トランザクション)の基本通貨でもあります。
ここでは、おもに仕組みの面からWeb 3についての説明が試みられています。NFTやブロックチェーンといったバズワードが頻出しますが、かなり端的にわかりやすく伝えられていると思います。
なおここでは、原文の文意を損なわないようにあえて「非代替性」という言葉を使わないようにしました。あらためてこの文章を読んでみて「交換できないトークン」であるNFTの希少性や価値をETHやXRPなど「交換できるトークン」で測っているんだな、ということに気づき、それは代替性という言葉からはわかりづらいと感じたためです。

Web 3への期待

ユーザーは様々な方法で「交換できるトークン」と「交換できないトークン」を入手可能です。購入することはもちろん、その他のやり方もあります。

Uniswapがプロトコルの初期ユーザーに対して、ガバナンス(統治用)トークンの15%を遡って配布したことはよく知られています。このような、コミュニティによる権限移譲は、好意を育み利用インセンティブを高める手段としてWeb 3では一般的になりつつあります。

また、創造的な活動や起業活動を通じてトークンを獲得することもできます。たとえば、NFTを販売して1日あたりおよそ1億ドル相当のETHを獲得する人々がいます。

トークンの存在は、ネットワークを成長させトークンの価値を高めるという共通の目標に向かって、参加者がたがいに協力するよう促します。

これにより、生じた価値が1社に蓄積されたあげく、ついには自社のユーザーやパートナーと戦うことになるという、中央集権的なネットワークにおける問題の核心部分が修正されます。

Web 3以前は、ユーザーや制作者は、Web 1の限られた機能を使うか、企業による中央集権型モデルの Web 2のいずれかを選択しなければなりませんでした。

Web 3では、前の時代のベストな面を組み合わせた、新しい方法が提供されます。いまこのムーブメントはごく初期にあり、参加するには絶好の機会と言えます。
最後のパートでは、トークンを入手する方法に加えて、Web 3 のコミュニティの性質が語られています。トークンの存在により参加者がたがいに協力するよう促される、というくだりは強く性善説に根ざしているようにも感じられます。また、分散型のWeb 3が中央集権型モデルの問題を解決するという主張は、正しいと思いますがかなり楽観的な見方かもしれません。

性善説と楽観視のどちらも、もしかすると新しい時代の期待を反映しているのかな、という気もしています。(原文についての私の理解が正しければ、ですが、、)

そして、今は2022年6月ですが、原文のツイートから9ヶ月たらずの間に、またたく間に状況は変わっているようです。もう「ムーブメントのごく初期」とは言えないのかもしれません。

おわりに

以上がChris Dixon氏による "Why Web 3 matters" の翻訳とその解説です。
自分は今年の2月にこの文章を知ったのですが、その頃と比較しても NFT や DAO、クリプトなどの言葉を耳にする機会が増えたなあと思います。S&A のJournalでもNFTを取り上げていますし、Wired の Web 3 特集もありました。つい最近は山古志村のNFT錦鯉のような試みがあったり。流れは早く、上にも書いたように「もうごく初期ではない」ようにも感じてしまいます。

でも、まだブロックチェーンもトークンも既存のWebに組み込まれたパーツの一部みたいな使われ方だなあ、という感じもしています。もっと大きな変化はこれからあるのかもしれません。

それがどんな形になるのかはまだわからないけれど、非中央集権的で改ざんができず、透明性が高くてかつ匿名性も保証される、というのが真実なら、きっとこれまで実現できそうでできなかった「自律する小さなエコシステム」がたくさんできて、それが必要に応じてつながっていく、そういうモデルが成立しそうな感覚を持っています。(性善説で、楽観的に)。

最後になりますが、誤解や誤訳に気づかれた方はぜひご指摘ください。 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。