はじめに

こんにちは。Surface&Architectureの岡村です。
2022年3月をもって、私たちS&Aは自然体験を集めたウェブメディア「WILD MIND GO! GO!」の運営から退くこととなりました。今回のJournalでは、WILD MIND GO! GO!を改めて紹介し、立ち上げから5年以上の月日をかけ企画・制作にたずさわった経験を振り返ってみたいと思います。長期間に渡るだけでなく、想い入れも強い仕事だったので、あれやこれやと紆余曲折のある長い記事になってしまいそうです…。後半にはデザイン系プロジェクトのディレクションに役立ちそうなことも書いていますので、ぜひ、そちらも参考にしていただければと思います。

この記事の目次

WILD MIND GO! GO!とは

WILD MIND GO! GO!は、身近な野あそびから森で生きる方法まで、幅広い自然体験を紹介しているカシオ計算機提供のウェブメディアです。自然体験に関するメディアとして特徴となっているのは、一般的なアウトドアスキルのハウツーを掲載するサイトと異なり、自然をいつもと違う眼差しで眺めることへ繋がる、一風変わった体験を紹介しているところです。自然のなかで遊ぶことに精通したネイチャーガイドやインタープリターのような人だけでなく、科学者、アーティスト、デザイナーによる自然体験が掲載されています。私たちとは違う眼をもつスペシャリストやエキスパート。彼らの視点を借りて、野に出ていくことで、いつも見ている野山や海、生き物が新鮮に見えてくる。自然を「異化」することから、自然の面白さ、豊かさにもう一度気付かされる。そんなことを企図したのが、WILD MIND GO! GO!です。
例えば、ネイティブアメリカンが狩りをする際の技術、トラッキングを身につけてトラッカーの眼差しで野生動物を探す体験があります。他にも植物や石ころなど、その生物種や名前を学ぶのではなく、ただただ造形を眺め、愛でて、自然物のなかに正円、正方形などを探すというデザイナーが寄稿している体験は、レイチェル・カーソンの「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではないのです。」という言葉を思い起こさせます。
私たちは、5年間で実に250近くの自然体験を企画、編集してきました。
そんなサイトがどのような想いではじまったのか?私やメンバーがアウトドア好きであったことが原動力であったことは間違いありませんが、WILD MIND GO! GO!のaboutページには、こんなことが書かれています。
生活が自然から遠ざかった現代、私たちは、自然を愛でる感性や冒険する心を失いつつあるように感じます。しかし、自然の中には、まだまだ見過ごされている不思議や、心が動く冒険がたくさんあります。WILD MIND GO! GO! では、自然の新鮮な魅力を味わう体験から、もう一度人と自然をつなぎ、人が本来持つ豊かな「生き物としての力」を取り戻したい、という想いからスタートしました。
ウェブメディアをとおして、人と自然の関係を新たに、そして、環境のなかでコンヴィヴィアル(共愉的)に生き抜く力を取り戻したい。私たちが失った自然との接点や、本来備わっていた力。こうしたものを取り戻すことが、現代を豊かに生きることへとつながるに違いない。そんな想いのもとにWILD MIND GO! GO!は始まりました。

体験デザインの考え方

私が所属するSurface&Architectureは「体験をデザインする」ということを主軸に活動をしています。デザインは、もう随分以前から「モノのデザインからコトのデザインへ」と言われ、モノが飽和した現代ではコトをデザインすることが重視されています。まさにコトである「体験」を私が大切だと考えている理由は、デザインのこうした流れと全く無関係ではないですが、端的に「体験は人を作るものである」と考えているからです。WILD MIND GO! GO!は、自分の頭と身体を使うことの意味、そしてそこから生じる人の変化について、新鮮な示唆と深い洞察をあたえ続けててくれました。
私たちは体験をとおして見えていなかった世界を知り、世界はどのようなものであるのかを映し出す内的な世界地図を広げています。もちろん、読書やネットで情報を得ることでもこの地図は広がります。しかし、体験によって広がるのは、「私」だけに開かれた「言葉や知識となる以前の現象している世界の地図」です。この当たり前のことが実はとても大切なことなのではないかと思います。
みなさんにも、やってみたら分かったという経験が一度はあるのではないでしょうか?例えば、木彫りのスプーンを作ってみたことがない時は、「ああ、キレイだな」と眺めるくらいだったものが、実際にナイフで木を削ってスプーンを作ってみると、さっき見ていたスプーンがどれだけ高度な技術と根気で作られたものかがわかり「おお、スゲー」となり、見えていなかったものが見えてくる…。同じものを見ていても、見えるものが違う。木彫りのスプーンを知識として理解することとはどこか違うのです。スプーンの例はほんの一例ですが、自分でやってみることは、他者の知識を吸収することとは違う力を持っています。
もう少しこの点を深堀してみたいと思います。体験から生じる変化とは、一言で言うと「現象する世界」と「私」の両方の理解、そしてその相互関係の変化であると言えるのではないでしょうか。はじめて見る処女地に足を踏み入れることで世界が広がることもあれば、技術や感覚など身体的な能力を身につけたり、自分への肯定感を高め、自己認識が改まることもある。「私」とは世界に対して開かれた唯一の原点です。言葉が思考の視点や観点を変化させるのに対して、身体を伴う活動は、「私」という原点の座標、そして世界への開かれ方を変えるものです。世界の見え方と関わり方が変わり、その変化が投影された内的地図を改良していくことが体験によって生まれる変化ではないでしょうか。
そして体験とは「私」にしか起きない出来事です。これは必ずです。他の人の体験を体験することはできないため、体験とは必ず私的なものなのです。ある出来事が、他の誰かではなく、苦痛や快楽を感じる受肉した「私」に起きた。あるいは、「私」が行ったということは、思考より深く特別な意味を持って心と身体に刻まれます。体験は、良くも悪くも、私的に所有されたようなものとなり、その積み重ねが人を作っていくというのが、私の見方です。
もう一つ。体験することは、体験することは、言葉にならないことを経験をするということでもあります。「なんだこれ?わけわかんねぇ。」というようなモノやコトに出会ってしまうのです。体験は整理もされていなければ、予定調和でもない。分かりやすいことを良しとし、わからないものは敬遠されるような風潮がありますが、わからないことやひっかかりは、もっと大切にされるべきで、本当の自分なりの思考が開始されるのは、「なんだこれ?わけわかんねぇ。」とかという出来事に遭遇した時なのです。そう考えてみると、体験は主体的に考えることへ開かれた豊かな土壌のようなものであると言っても差し支えないものだと思います。
体験に関する考察が長くなりましたが、WILD MIND GO! GO!のコンセプトの検討やコンテンツを企画する際、背景にはいつもこんな考えがありました。人と自然の関係をよりよいものに変えていくだけでなく、体験した人自身の感性を豊かに、あるいは野生の知恵が身体に染み込み、人を豊かにしていく。それが、WILD MIND GO! GO!が生み出していきたいものでした。(自然体験に限らず、愉しむということはこうした一連の流れのことを言うようにも思います。)
こうしたコンセプトが評価されたのかどうかは、わかりませんが、WILD MIND GO! GO!を書籍化した『生き物としての力を取り戻す50の自然体験』は、GOOD DESIGN賞のBEST100に選出されました。

ディレクションの心得

WILD MIND GO!GO!は「体験をデザインする」という点で示唆に富む仕事でしたが、同時に何かを新しく創出するプロジェクトとして、より一般的な仕事の枠で捉えた時にも、たくさんの学びのあるものでした。ここからはそのあたりの話をシェアさせてもらおうと思います。ここには、なにか特別新しいことは書かれていないかもしれませんが、どこかに改めて頷けるような論点があり、多少なりとも皆さんに役立つものがあればと思います。
改めて経験を振り返ると大切なポイントが3つあったように思います。そして、この3点は相互に関係した下図のような関係にあるものです。

コンセプトにこだわる

どうしたらウェブサイトとしてオリジナリティを出していけるのか、立ち上げの際や本をまとめる時、この点について考え続け、そしてこだわり続けました。自然のなかの体験、例えば、テントの建て方やナイフの研ぎ方など、それはそれで楽しいものですが、この種のコンテンツはネットでも書籍でもどこにでもあります。そのなかで、どうしたら独自性を出していけるのか、やってみたいと興味をもってもらえるものになるのか…。 立ち上げ初期のサイトへのアクセス数が伸びないタイミングでは、メンバーから、もっと普通の一般的な体験の方が利用者が増えるのではないかという意見が度々聞かれました。確かに、アウトドア初心者の手引きのようなコンテンツの方が確実なニーズを見込めるでしょう。しかしそれは、どこにでもある、ありふれた物です。確実なニーズが見込め、多少なりとも数字を多く稼げる方向に進んでいくかどうか。これは、とても悩ましい問題でした。そんななかで、私自身の負けず嫌いの性格も相まって、今のコンセプトや編集方針に価値があるのかを世に問うてみたいという想いが強くなり、WILD MIND GO! GO!を結晶化させた書籍の企画を開始しました。
書籍化の際に考えたことは、とにかくWILD MIND GO! GO!の濃度を高め、純化していくことでした。主だったところで、書名を「生き物としての力を取り戻す 50の自然体験」とすること、そして福岡伸一さんをはじめとする4名の方のエッセイを書籍に加えました。書名と4つのエッセイは、自然と向き合う際の暗黙の補助線となり、50の自然体験の意味や意義を支えています。こんなことから強いメッセージ性を持ち、そのメッセージが確実に伝わる書籍を目指していきました。
ビジョンやコンセプトと数字。相反するものであることがしばしばです。そして、ついバランスを取りたくなります。WILD MIND GO! GO!では、バランスを取らずに、現状のフレームの外側で何かできないか、コンセプトにこだわり、その可能性を追求する選択肢がないかを模索したのです(とにかく、負けず嫌いなもので)。ウェブサイトのなかだけで考えるとバランスを取らざるを得なくなります。そんなときに、視野を広くもって外側で試してみる。そこから、新たな機会が生まれる可能性があります。WILD MIND GO! GO!から離れた今も、外側に見落としている可能性がないかを意識し、さまざまなプロジェクトを進めています。

継続する

上に書いたようにWILD MIND GO! GO!の立ち上げ当初は、強い向かい風が吹いていました。思ったように数字が伸びず、方向性がこのままでよいのか、たびたび疑問の声があがります。たしかに初心者に向けたアウトドアの指南書のようなものであれば、顕在化したニーズがあり、フィールドで何か困ったら検索して解決しようとした人の流入を見込めます。しかし、私たちがやっていたような、確かなニーズがあるものでなく、アウトドアや自然体験の本流からは外れた提案型の体験は、いくらおもしろくても明確なニーズがない以上、集客に苦戦するのは自明であったとも言えます。
話がズレますが、継続するというと、焼酎の「いいちこ」の広告を思い出します。いいちこの広告に関して、低予算のなかでも継続できることをアートディレクターの河北秀也氏が考え、ポスターを作ることを提案したという話です。河北氏は、「いいイメージを積み重ねていって、厚みを出していかないとダメだ」といいちこを製造している三和種類の社長に話したそうです。(このあたりの話はこちらに)いいちこのポスターは、私自身もよく見かけ、長年にわたって見ているうちに、「ああ、いいなあ。いいちこ、いいなあ。」と印象の良い世界観が心に浮き上きあがり、気になる存在へと心のなかで成長していきました。
この広告の裏側には、企業とデザイナーの間に強い信頼関係があったそうです。いいちこのポスターを広告として考えると、ロゴも商品写真も目につきにくく、販売数との直接的な結びつきはどう考えても希薄です(普通は広告として成立しない?)。それでも社長は提案を受け入れ、デザイナーは妥協することなく品質でそれに応え続けたという羨ましいような話です。しかし、WILD MIND GO! GO!にもそれに近いものがあったのです。向かい風が強いなかでも、状況を冷静に受け止め、継続できる環境をカシオさんが提供し続けてくれたのです。それは、カシオの主担当の方の並々ならぬ努力の結果です。そして、私たちも体験の品質を落とさず、やりたいと思える体験の企画、制作を続けていきました。(作っている自分達が楽しめるというのは、継続のためのひとつの秘訣で、いいちころのポスターも絶対楽しんで作っているのだと思います。楽しめることをやるということは、簡単なようで難しいことです。そして、大切にしなければならないことです。)
議論し、運営していくなかでは、もちろん対立するような場面もありました。それでも私たちを信頼して継続できる環境を提供しつづけてくれたカシオさんには、今でも本当に感謝しています。私たちはいいちこほどには、厚みがあるものは作れなかったかもしれません。それでも継続していくことで、WILD MIND GO! GO!が目指す世界の輪郭はくっきりし、すこしづつ厚みが増していきました。そして、その期間に新たなつながりや機会も生まれていきました。ありふれた言葉ですが、「諦めない」ということに力は宿る。これは本当です。

共感を得る

3つ目は、「共感を得る」ということですが、これは、1つめの「コンセプトにこだわる」ということや、「継続する」ということに密接に関係する事柄です。たとえ、すぐには理解できないようなコンセプトでも共感してもらえるものでなければ、それにこだわり、継続することは難しくなります。馴染みのない考え方であったとしても、「確かにそういう考え方は大切だよね」と感じてもらわなければならないのです。そして、共感は内側から外側へ。まず企画、制作、運営していくプロジェクトメンバーのなかで共感があり、その共感が記事を提供してくれるライターの方々、そして、その先の読者へと広がるものでなければならないのだと思います。内側の共感があってこそ、外側によいものが滲み出ていく。理想論のようにも聞こえますが、私自身が経験したプロジェクトで、この「共感染み出しの法則」が成立したものが、よい成果を得ています。 社内で雑談をしている時に、「機能やデザインで商品を選ぶ時代ではなく、近い将来、その裏側にあるビジョンやストーリーで購入するような時代がくるよね」という話をしていました。しかし、もうすでにそんな時代がきているようです。ある企業のビジョンや企業姿勢が好きだから、そこの商品を買う。1つのものを買うという行為は、求める便益があるという理由や、ブランド品の所有による自己表現ということでもなく、自身の価値観と合う生産者や企業を応援することで充足するような、知的で思想的な意味合いを色濃くしてきているのではないかと思います。
このような社会背景のなかでは、共感が得られるストーリーが重要であることは間違いありません。WILD MIND GO! GO!にも少なからず、そのようなものがあったから5年もの期間を継続してこれたのでしょう。そのなかで、1つ気をつけていたのは、この共感が安っぽいものになってしまわないように、自然の大切さを訴えたり、環境保護の必要性を言葉にすることは避けていました。もちろん、こうしたことに繋がってほしいと強く願っていましたが、それを伝えることはなんだか違う。私たちが考えていたのは、自ら体験することから、自然の尊さに気づき自発的な感情から、なにかが始まってほしいと考えていたのです。共感について考える時は、特に普遍的なテーマの場合、それを直接的な言葉にせず、敢えて中心は空にしておいた方がよい。そんなように思います。
私たちが長年たずさわったWILD MIND GO! GO!を紹介し、その背景にある体験に関する思考を巡り、そこから学んだことをシェアさせてもらいました。まだまだ書きたいこともあるのですが、原稿があまりにも長くなるのでこのあたりで一旦区切りをいれようと思います。
最後になりますが、素晴らしい機会を私たちに与えてくれたカシオ計算機のみなさま、魅力的な体験をご紹介いただいたライターのみなさま、そして、一緒に企画を練り継続をささえてくれた編集部に心から感謝します。
岡村祐介