エクスペリエンスデザインを見直す

「エクスペリエンスデザイン」という言葉はもう少し見直されても良いのではないか。

もうずいぶん前から、「ユーザーの経験をデザインする」ということが言われていたが、言葉から思い描くイメージと、実際のアウトプット=デザインされたものの間に、どうもギャップがあるような気がしてならなかった。このギャップの他にも、「金のなる木」になりそうなテーマというだけで、あまり「エクスペリエンスデザイン」が指し示すことが本質的ではない、あるいは茫漠としているように感じることが多かったようにも思う。インタラクションデザイナーやIAで、「エクスペリエンスデザイン」とか、「ユーザー経験のデザイン」という言葉をなるべく使わずにいた人も多いのではないだろうか…

自社が提供する製品を単体ではなく、製品同士が連携するシステムとして機能させることや、すべての顧客接点を調和した1つのシステムとして考える、「体験戦略(experience strategy)」という考え方もあるようだ。これはこれで、企業にとって重要な施策の1つだとは思うが、ブランドのなかに古くから存在する考え方に「体験」という響きの良い言葉をあてているだけなのではないかとも思えてしまう。製品連携についてもこれまでもずっと考えられてきているし、この連携から得られるものを「体験」とするのは、分かるような気もするが、やはり多少の違和感が残る。

最近、この言葉を見直し始めたのは、以前に紹介したBill Buxtonの「Sketching User Experience」で「経験をデザインする」ということが、わかりやすく説明されていたからだ。「Sketching User Experience」のなかで「経験をデザインする」ということが、彼の「オレンジジューサー」を使う具体的な経験からこのように説明されている。

彼は毎朝、ジューサーでオレンジを絞り、オレンジジュースを飲んでいるそうだが、手動のジューサーと電動のジューサーでは、ジュースの味も変わらないし、機能も変わらないが、経験は全くちがうと説明している。電動のジューサーを使うと、静かな朝が一変しオレンジを絞る騒音で神経が逆撫でられるようになったと…。また、手動のジューサーでも、オレンジを絞る機構の違いによって、その作業の趣が違ってくるともいう。

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ハンドル操作でギヤが回転し、徐々に時間をかけてオレンジが絞られて行くタイプ(上の写真の銀色のもの)と、テコの原理を使って一気に絞るタイプ(上の写真の白のもの)では、一気に絞るタイプの操作はリズミカルで気持ちのよい操作になるという。(恐らく、オレンジが一気にスポッと潰れるのが気持ちよいのではないかと思う。オレンジの香りの広がり方も変わってくると思うし。)

この例がしっくり来るのは、PCのディスプレイのなかの話ではなく、毎日の生活のなかで使われる道具を筋肉と五感を使って操作しているからだと思う。確かに、フィジカルコンピューティングやタンジブルインターフェイスという文脈であれば、「エクスペリエンスデザイン」という言葉への違和感はそれほど強くない。むしろ、「エクスペリエンスデザイン」の本質を、機能や目的が同じ時、機構や実現方法によって人が受ける感覚や印象が変わる、その差分のようなものと捉えることの面白さに惹かれる。(その差分を追いかけてみたくなるというか…)

機能や目的が同じでも実現する機構が異なることによって、ユーザー経験が変わるということは示唆に飛んでいる。1つはデザインをしていく上でエンジニアリングが重要な要素となること、もう1つは、様々な機構の可能性を探り筋肉や五感を使って実際に経験できる方法が必要であるということ。「経験をデザイン」するのであれば、視覚的な表象だけでなく、経験可能なモノが必要で、それこそがハードウェアスケッチなのだろう。ハードウェアスケッチによって実際に経験することだけが、「感覚や印象の差分」を明らかにしてくれるのだ。

「エクスペリエンスデザイン」を、もう一度見直すことで 、ハードウェアスケッチで何をすべきなのかが透けて見えたように思う…

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